昔から、住む家の横には川が流れていました。
田んぼに水を運ぶための水路から、水鳥のやってくる川まで。何となく、近くに水があることが当たり前。
今の家には川がないなと思っていたけれど、ポツリポツリと掘り抜きの井戸のある地域なので、地下には流れているのでしょう。
場所が理由になったかはともかく、今の家に住んでからはいろいろなことがありました。長くなるため詳細は省くけれど、畳み掛けるように起こっていたときもある。
でもそれがあったから「手を合わせるって何だろう・目に見えないものを、なぜ感じなければいけないのだろう」と真剣に考えることが出来たし
お遍路に出てご先祖様を辿りご供養をする中で、今までの人生で起きたことを消化していく機会もいただきました。
そういう意味では、今の土地は「宝の家」・水は私にとっての導きと言えます。
世の中には、目に見えないものへの対処の仕方から礼の尽くし方まで、まことしやかに囁かれている色々な噂がありますね。
でも結局は、自分が向き合って一つ一つ片付けて(解いて)いく・縁を結いていくしかありません。当たり前だけれど、人付き合いと同じ。
お化けといえば祟りと言い、土地に何があればお祓いをする。もしくは、それを無いものとして無視して過ごす。
そうやって「自分の中に置き去りにしているもの」を「あちらから勝手にやってきた都合の悪いもの」と捉えていれば、状況が変わることは無かったはず。
でも諦めず・逃げ出さずに向き合えたのは、周りの人達のファインプレーと、その都度私が考え直すきっかけを作り、根気強く諦めなかった彼岸の方々の想いがあったから。
生きた人でもそうじゃなくても「居る」として勘定を回すことで、家屋敷を守る方々・彼岸の方々からのレスポンスも変わってくる。
そうすることが正しいとは限らないけど、私にとってはそれが回復に向かうきっかけになったというお話。
今はすっかり、家の中も落ち着いています。
だからこそ、世界線が違う人も一緒の人も、繊細なことなんだから下手に触らないでねって思う。
霊能者だろうが本職の宮司だろうが、コミュニケーションが取れない人間は、土地にも体にもその他にも一切触らないでほしい。
気軽に手を出してくる人は、他人様の金庫に遊びで手をかけるようなもの。逆も然り。だからそういうことはしない・させない。私は一介の作家であり、この家の刀自として責任を持ってお付き合いをしていくのです。
長い時間をかけて、土地に根付いて生きてきた色んな存在のこと・大地のこと・体の一部になってくれた全てのものを一つにしていく作業は年単位で時間をかけて行ったことであり、これからも続けていくこと。
お金に変えられない宝物が、記憶の下・土地の下には眠っている。
地味だし時間はかかるし、目に見えてされる感謝はないけど(時々あるけど、それ狙いですることでもないしな…)
そういうライフワークにわきわきしながら、これからも生きていくのだろうな。
などと考えながら、今日はウロウロ。
参拝した場所から、でっかい太陽をぱしゃり。
どこもこも、久しぶりの秋の大祭に湧いていた。土地の神様も嬉しいでしょうね。