金狐舎の裏庭

夫婦円満と家内安全の縁起物を描いている、金狐舎のブログ。制作の様子や、報恩謝徳の寺社参拝の写真を上げています。

八栗寺参拝

 

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先頃の、八栗寺参拝の写真を載せていきます。

この頃は、まだ桜が咲いていました。

 

上の写真は多宝塔。金剛界大日如来様を中心とした尊勝曼荼羅が納められています。


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大師堂


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以空上人様


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八栗寺といえばお聖天様


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大随求様もいらっしゃる


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本堂には、本尊聖観音

高松藩の祈祷所だったとのこと


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奥の院には中将坊様

 

お寺の方々と信者の方々のご尽力で、美しく整えられている寺院様です。

 

 

 

大窪寺参拝

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先頃の、大窪寺に参拝の様子。

薄曇りの中、穏やかに光がさす時間にお邪魔しました。


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阿弥陀堂


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納経所の中には、お地蔵様がいらっしゃいます。

建物の隣、水の流れるところには巳王様が。


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大きな銀杏の木。

大窪寺は紅葉も美しく、こちらの銀杏と合わせて秋には境内が極彩色に染まります。


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立体曼荼羅

お寺の方の愛なのか、時々石仏様の手にお花や銀杏の葉が。笑

可愛い。

 

写真はありませんが、大師堂の地下には秘剣大師がいらっしゃり、500円で拝観する事ができました。静かな堂内で、手を合わせられます。

結願のお寺として有名ですが、もしお時間に余裕があるようでしたら、拝観されることをおすすめします。

 

 

 

「おかるてんさん」

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今日は16日。おかるてんさんこと、金倉寺は訶梨帝母様のご縁日。

 

敷地内の福禄寿さん、桜の前でまどろんでいらしてホッコリ。


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お遍路以来、時々参拝してはいたのですが、今日は初めてお堂の中で手を合わせることができました。

 

500人の子供を産んだ、お母ちゃん。

子育てに行き詰まったら、おかるてんさんのところに来ると決めています。笑

 

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実りは多く

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ここのところ、色んな方の夢や希望が形になっていく様子を目にする。

 

金狐舎という屋号を立ち上げたのもまた、夢が叶ったことの一つなのだけれど

春らしく、周りの人達にもポチりポチりと花咲く様子が嬉しい。

 

一人夢が実ったとて、寂しい。

それぞれが努力をして、迷いながら泣きながらでも形にしていく過程を、多少なりとも知っているからこそ素直に喜べる。

 

実りは多く。その姿を見せてもらえることこそ、分かち合い。私もそう感じてもらえるように、頑張るのです。ニカッ!

 

 

写真は鬱金香。チューリップの和名を、そういうのだそうです。可愛いね〜。春だなぁ。

 

 

 

待つ時間

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金狐舎の作品を作るための材料を待つ。

 

未だデジタル化していない場所はあって、そういう方とは、必要ことをお願いするにあたり電話や手紙のやり取りをします。

 

手紙を描くのが好きなので・・・といっても、友人に出すわけではないため、文章としてはほんの一筆ほどのものですが

この時間は現代においては貴重なのだなと、楽しんでいます。

 

ほんの小さなものですら、届くのに1週間待つのが当たり前だった。私の幼い頃の記憶。

でも今は、待てないし我慢できない。というより、待たなくていいし我慢もしなくていいことが増えているから、そうしなければならない状況が理解できないのかもしれません。

 

私も大概、気が短くて待てない人間です。苦笑

何でもかんでも「今すぐに!」ではなく、届くのを待つ・熟すのを待つ・・・そんな時間を楽しむ感性を持ちたいなと思うのでした。

 

 

 

写真は黄色い文目。

じきに、五月が来ますね。

 

 

 

 

その人を通して出会う「私」と向き合う

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参拝をしていると、なぜそれをするのか?という問いに出会うことがあります。

内側から起こることもあるし、他の人から起こることもある。

 

素朴な疑問ですよね。

 

私が今感じていることのなかで言えるのは

 

どんな物事・どんな人を前にしても、そのものを通してでしか出会えない「私」がいるから、その私と向き合うためにやる

 

…ということでしょうか。

 

仕事、恋愛、家族、友人。

土地、歴史、幽霊やご神仏やご供養。

 

どんなヒト・モノ・コトを通しても、その向こうにいるのは「私」です。

 

その「私」に出会う機会を一番実感したのが、寺社仏閣を巡ることと、土地・祖先・家に向き合うということでしたので、続けているという具合です。

 

人間関係もそうですね。縁がある相手の向こうには必ず、その人との関係の中でしか出会えない私がいる。その私のことが好きだと思える関係を続けていく。大切にしていく。

 

お寺もそう。神社もそう。その他のモノについてもそう。目に見えていても、いなくても、相手の向こうにいる私に興味を持てるかどうかなのです。

 

感謝は、そこに生まれるものだと思うので。

 

そんなことに気付けていないときには「神や仏が何を救ってくれるのか」と思うこともありました。 振り返ってみると、それは丸ごと、私自身の命への不遜であったなと感じています。

 

みんながみんな、同じ結論に辿り着かなくてもいい。でも、本当に必要としている人が、門戸を開いてくれている安全な寺社仏閣と仏縁神縁をとおして、大切なことを思い出せたらいいなとblogを書いています。

 

 

聖域巡りが趣味のように思われているようですが、特別な場所になるかどうかは個人の縁にもよりますので、縁がある場所に行く・参拝を続ける形にしています。

 

でも、楽しければやってもいないし、それは他の人から見たら同じことかもしれませんね。

身近な人には、私の発見話に付き合ってくれてありがとうの気持ちでお話ししています。許してね。

聞いてくれたら嬉しいの。笑

 

 

大阪 成田山不動尊に参拝

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星田妙見宮と同日、大阪の成田山不動尊へ参拝。

 

成田山大本山が千葉にありますが、別院が各地にあるようで。私はご縁あって大阪へ。


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香炉にいるコマちゃんが可愛い


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土地として開けているからか、山のような籠った神聖さとはまた違う。お不動様の信仰からなる、祈りの場。信仰してきた人たちの、マンパワーとも言えるのかな。

 

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本堂の裏には、お大黒様と、 出世稲荷として荼枳尼天様。


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地下にある奥の院には、大日如来様をはじめとした干支の守本尊。滝行場や、四国八十八箇所霊場のお砂踏みもございました。