金狐舎の裏庭

|小さな縁起物の工房です|制作ノート|参拝・フィールドワークの記録 |

持っている運に心を開く

 

 

今日は、開運のお話。

 

金狐舎の運が、世間的にいいかどうかは分からないけれど、読んでくださっている方がご自身の運に心を開くためには、役立つ内容かもしれません。

 

運という言葉がしっくり来なければ、素質・性質と置き換えていただいても良いと思います。

 

 

私が過去、足踏みをしていた時には「好きなことを諦めるかどうか」を考えていました。

 

けれど、あるときから

 

「私はこれが好きなんだ」と諦めること

好きなヒト・モノ・コトに対して、抵抗するのを止めることを決めました

 

今後何があっても、それを理由に、好きなことを諦めるのはやめよう。状況に応じて、行動できる規模の大小は変わるかもしれないけれど、好きであることを抑えるのはやめよう。

 

そう決めてから、ゴロンゴロンと色んなものが転換して、お陰様で今があります。

 

 

金狐舎にとっては、好き=制作であり、ご神仏に手を合わせながら暮らすことでしたが

生き物・ファッション・音楽・スポーツ・旅行etc…人それぞれに、好きなものは違いますよね。

 

世間で何と言われていようと、好きなものは好きなのです。それが後天的なものではなくて、誰かに何かを言われる前から、進んで惹かれてしまっていたようなことなら尚更です。

 

それはきっと、自分の運とイコールのようなものなのだと思います。

 

大事な身体の一部を外そうとするようなものですから、好きなものを遠ざけると、進めなくなるのでしょうね。

 

好きなものを認めたまま、柔軟に生きていけばいいじゃないか。

目の前で起こることに、その時々で働きかけながら生きたらいいだけじゃないか。

そう思うと、気持ちが楽になりました(運に心を開くと、歩くべき道も開けるように思います)

 

とはいえ私は人間なので、こんなことを書いていながら、明日には何かがあって「もうやってられない!」なんて、もんどり打っているやもしれません。笑

 

でも、ドタバタしながらでも大事なものは離れないし、離せないものなんだと分かっていたら、少しだけホッと出来るかもしれませんし

 

そうしているうちに、何やら奇跡が起こるかもしれません。

 

 

自分が好きなもの・持っているもの・備わっているものを、過小評価したり卑下したりするのをやめて、そういう生き物なのだと認めてみる。

 

私はかなり追い詰められてから、降参するしかなかったのですが。もっと早く素直に認めてあげても、いいと思うよ…と

 

運を拷問するのを、やめましょうと(笑)

 

もしも同じようなことで、ご自身の運に心を閉じている方がいたら、届いたらいいなと書き記しておきます。

 

 

 

 

揺蕩うものを表現する技術

f:id:futagoya3:20260817152457j:image

 

ここのところ、答えのないものをそのまま表現するということが、個人的なテーマになっています。

 

このブログに書いているのは、全て正しい答えがあるわけではない、個人的な経験です。

日常の中で経験したことの随筆は、金狐舎が残していきたい大切なものだと考えています。(僧侶神職の方々の霊験譚は、その道を歩む方々が残してくださっているので)

 

お陰様で、ご眷属様たちを「カタチ」にすることはさせていただいているので、制作の空間で起きていることを、自分の言葉で表現していくことが課題。

 

世の中には、怪談から霊能者の逸話まで、沢山の不可思議な話が溢れていますが、どこかの昔話や漫画の焼き回しのような言葉で語られているものを見ると、違和感がある。

 

注目を浴びたくて、他人の言葉をわざと用いている人もいるでしょうけれど、自分の感性で素直にキャッチして、言葉で表現する術を持たないから『そうなっちゃっているだけ』というケースの方も多いのではないでしょうか。

 

本当に感性の世界を大切にしたいなら、他人のフィルターを外して、素直に純粋に捉える技術+言葉になっていない感覚を言葉にしていく技術を、自主的に育てていく必要があるのだろうなと、私自身のことを振り返っています。

 

感覚の源泉に、言葉というアンカーを下ろす

 

それこそが、霊的な防御とやらが必要な場合にも、強い守りになるんじゃないか…と思っている今です。

 

分からなくてもいい、答えがなくてもいい

 

ただ揺蕩うものを存在させられる心の余白

それを捉える技術・そのままに表現する技術

 

これらを、磨いていきませんと。

 

神仏や幽霊はいるかいないか、ではなく、自分自身の中に神仏も幽霊(過去に存在した人)も感じられる、そんな人間でありたいので…。

 

 

 

 

かしこぶらずに、素直になりませんとね。

 

 

 

 

 

お墓参り

f:id:futagoya3:20260816001124j:image

 

なんとか、お盆中に行けたお墓参り

 

帰り道、丸亀にあるカラシヤ・クラシックでオロチョンラーメンを食べる

 

お墓に行って、何になるの?…という方は、まず一つの区切りとして手を合わせてみることをご提案します。

そうしているうちに、他人のほんの小さな変化の中に、自分の歩みを見るときがくる。そこに感謝が生まれる。

 

答えがないことを、行う勇気の提案です。

 

頭で考えて、納得いくことなんか何一つないのかもしれないな…と思いつつ

 

お墓参りや先祖供養は、効率の世界から一歩抜け出すきっかけを与えてくれるものである…ということを、個人的な記録として書き記しておきます。

 

 

 

 

職人さんとお稲荷様

f:id:futagoya3:20260814104809j:image

 

腕の良い職人さんのお店が、一つ無くなりました。

 

以前、この方にならとお仕事をお願いしたこともあり、次のお仕事も頼んでいたところでした。

 

精神的な土台から作っていく、店主さんの姿勢が好きだったのです。

 

 

 

職人の仕事なんて、今どき儲からないし流行らないという人もあるかもしれないけれど、生活に必要なものを、感性と技術を持って提供できるのが職人さんなのであって

 

無くなっていいということでは、ないだろう?と思うのです

 

そういう人こそ、豊かであってほしい

 

役にも立たないコンサルばっかり増えるより、壊れたものを直せる世界線の方がいい…というのが、私が今見ている景色です。

 

職人さんが消えるということは、職人さんが関わる世界そのものの、安全安心が消えるということなので。

依頼する側も受ける側も、職人さんのお仕事を、生活の延長線上に見られる人を増やすことが必要なのでしょう。

 

…悔しいです

 

長年の経験に裏打ちされた知恵と技術、そこで結ばれてきた信頼関係は、一朝一夕に手に入るものではありません

 

お稲荷様は商売繁盛の神様と言われていますが、金狐舎にとっては、そういう「血の通った仕事の大切さ」を教えてくれる神様です。

 

金狐舎は、働く人の縁起物を制作しています。

 

手を動かして目に見える世界に働きかけられる人が育たないと、お狐様達が泣いてしまうわね…と。

 

そんなことを考えながら、今日も今日とて粘土を捏ねます。

 

 

 

 

 

分けることが大前提

f:id:futagoya3:20260813180712j:image

 

大量のレモンをいただく。

早速、荼枳尼天様にお供えを。

 

f:id:futagoya3:20260813181201j:image

良い名前のお酒を見つけたので、こちらは弁天様たちに。

 

 

 

あっちこっちからいただいたものを、お返しするつもりが、結局またいただくことになる。

 

余ったものは、みんなで分ける。あらかじめ、みんなで分けることを想定して作る。

 

その通り道に、豊かさが沢山ある気がします。

 

世の中には、自分勝手に幸せになりましょうというビジネスや、食えもしない情報商材があるようですが。

 

周りの人のお腹が膨れないものは、個人的にはいらないです。

 

私が仏様に手を合わせるのは、それで生かしてもらっているからです。物理的にではないけれど、自他共に、心のお腹が満たされるので。

 

 

野菜が高い昨今、ご近所さんから「ようけもろたけん、あんたんとこ食べて!」とお裾分けをいただけるなんて、ありがたいこと。

 

その輪の中に居られることが、恵みだと思っています。

 

予め多く仕入れたものを売る…というのは、商売として分かりやすいけど

育てている人が、余ったものを渡すというプロセスにこそ、今必要なものがある気がしますね。

 

もしかしたら、信仰にもそのようなことが言えるのかもしれないなと考えながら、お供えものを取り替える本日なのでした。

 

 

 

土地を訪ねて仏様に出逢う

 

 

粘土を捏ねながら、今年前半を振り返り、端境の時間を過ごしています。

 

奈良の自然と文化の混ざり合った景色を思い出しながら、ああいう未来でもいいのか…と空想。

 

未来というと、やれAIだ宇宙だ、テクノロジーだと電子めいた世界を想像していましたが。

 

土台は自然・その上に人間の生活があって、人間の臓器のように地方都市があって、その中で科学技術が働いている…そんな未来があってもいいんじゃないかと

 

お大師様が残したものも、その一端であり、見本だったのかな…と、空想しています。

 

自身のコスモロジーに出会い、整えられたら、まだ実現できる未来があるのだとしたら?

 

この問いは、弥勒様からの贈り物として、記憶の中に大切に仕舞っておこうと思います。

 

 

 

未来の仏様といえば、弥勒菩薩。

お釈迦様の後の世に、仏としてご出現するため、修行されていると伝えられるお方です。

 

権現様や神様達のご本地でもある

 

様々な姿で、今も未来のために働いていらっしゃるのかもしれません。

 

これまでの体験から、先祖供養と未来に想いを馳せることは、ワンセットだと考えているのですが

見えていなかった「子供達に渡したい未来」を見せていただき、改めて土地には仏様が宿るのだなと、ひとりごちています。

 

その土地にいらっしゃる仏様に出会うため、旅はあるのですね。きっと。

 

 

 

 

 

日本酒『梵』

f:id:futagoya3:20260810182544j:image

 

加藤吉平商店さんの、日本酒「梵」

無添加の純米酒にこだわった、お酒造りをされているそうです。

https://www.born.co.jp/

 

名前に惹かれて、購入。一口含んで、脳天突き抜けるような美味しさに、つい調べてしまいました。

 

私が呑んだのは「純粋 純米大吟醸」生貯蔵の飲み切りタイプ。芳醇旨口。お供え物にすると、きっと神様達も喜びますね。

 

呑んだら乗るな、乗るなら呑むなを徹底して。楽しい日本酒ライフを。

 

梵=古代インドのブラフマン(Brahman)の音写。宇宙の根本原理・清浄で汚れのない状態を意味するそうです。