金狐舎の裏庭

狐を捏ねて作る人。参拝・フィールドワークの記録。

白峯寺 御本尊 千手観音菩薩

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白峯寺御本尊、千手観音菩薩様

年に一度のご開帳日にて、手を合わせることができました。

 

二年越しの夢が叶いました。


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今日は大師堂の扉も開いていた

 

初めて白峯寺様を訪れたのは、四年前。最初の年は知らず、一昨年・去年は都合により叶わず。本日、やっとお姿を拝むことが出来ました。


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照り返しで光る扁額

 

たまたま丁度訪れた日がご開帳日で…というのも嬉しいけれど、こうして想いを募らせる時間があってお会いできると、また違った嬉しさとありがたさがあります。


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相変わらず綺麗なモミジ

 

焼き付けるように晴れた日。本堂左手奥にある、善女様の祠に手を合わせていて「雨乞いの恩恵って、人間じゃない生き物たちにも行き渡るものだったのか」と感じました。

 

他の祈願であっても、本来は旱魃時の雨乞いのように、周りにも恩恵をもたらすものでないといけないのだろうなと

 

大切なインスピレーションを、いただいて帰りました。

 

 

 

 

青面金剛 天正寺とお狸様

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青面金剛が御本尊の、天正寺に参拝いたしました。眉山の麓にある寺院。眺めがよいところです。


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青面金剛をお祀りする庚申待には、北斗七星が関わるとのお話を見つけ、七夕からの流れで久しぶりに足を運びました。


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昔々、人間の体内には、三尸=サンシという虫がいるとされていました。この虫たちは、常に人間の罪を見張っていて、宿主の人間が眠っているうちに、天帝(北斗)に日頃の悪行を告げに行くとされていたそうです。

 

それが庚申の日の、夜のこと。

 

告げられたことに応じて天帝が寿命を縮ませるとされたため、虫たちが告げ口をしに行かないよう、眠らずに夜を明かす庚申待が行われるようになったと伝えられています。


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新八様ファミリー。金長様と並ぶ、お狸様です。奥さんのお竹様と、お子さんの権八様も一緒。


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本堂の奥には、きちんとしたお社も

 

この日の夜、仕事から帰った主人が徐に話し出すことには

「近所にさぁ、変わった生き物がいるなと思って見たら、狸だったよ」

と。車道を挟んでいるので、野生動物が近所まで来るのは珍しいのですが。

 

今抱えている課題と、どう向き合えばいいのかなぁ新八さんッ!と嘆いたから、見に来てくださったのかな。

 

不思議不思議。四国のお狸ネットワークは、生きているのです。Wi-Fi飛んで無くても届くんですよ。ほんとだよぉう。

 

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青面金剛様のご利益といえば、病気と悪霊退散のイメージですが

こちらの和讃には「浄土へ往生・仏果に進む」という内容が書かれてありました。安らぎとも繋がりがあるのでしょうか。また訪れたい寺院様です。

 

 

 

鎮宅霊符神のおかげさま話

今日は七夕です。鎮宅霊符神に御神酒をお供え。星田妙見宮で授かった冊子の方法で、手を合わせました。

 

金狐舎では、星田妙見宮の授与品である太上神仙鎮宅七十二霊符をお祀りしています。今回は、神様のご威徳を広めるために「おかげさま話」を書いてみようと思います。

 

星田妙見宮の公式サイト ▶︎ https://www.hoshida-myoken.com

太上神仙鎮宅七十二霊符 ▶︎ https://www.hoshida-myoken.com/太上秘法鎮宅霊符/

 

元々、児童向けの宇宙や星座に関する本が実家にあったことから、私自身、なんとなく星の話を読むのが好きでした(ギリシャ神話)

成長するうちに鉱物が好きになり、大人になってからは巨石信仰や星信仰の話に惹かれたことから、妙見菩薩という星の神様がいるらしい…と知ることになります。

 

初めて星田妙見宮を訪ねたのは、今から十年ほど前のこと。その頃はまだ「岩が大きくて楽しかった・星のブランコは恐い」という印象しかありませんでした。

 

※ 高所が平気な方は、交野市・星のブランコを訪ねてみてください。笑

 

それから数年が経ったころ。あることをきっかけに、鎮宅霊符を求めるようになります。

 

内容は不可思議話になるので伏せますが「素人が、本を参考に小手先で霊符を作るべからず」という学びと反省を経て、きちんと寺社仏閣で拝まれた正式な霊符を賜りたいと検索。結果、ヒットした星田妙見宮を再び訪ねました。

 

そして、 太上神仙鎮宅七十二霊符をとおして、鎮宅霊符神様と、習合したとされる妙見菩薩様に手を合わせるようになります。

 

ここからは、家という土台を見直し、自分の向き合い方を全面的に変える様な時期を過ごしました。

 

『妙見さんは、荒っぽい神様のイメージあるねぇ』とは、交野に所縁ある方の弁ですが、一理あると思います。

 

ただ、人や物事と向き合う上で、自分の弱さを断ち切る経験をいたしました。

家は小さな国土・自分自身の体も小さな国土ですから、国を守るために何をすべきか?自分は国の安全を願うに、相応しい行いを出来ているか?を、省みる機会をいただいたと考えています。

(妙見様は導きの神であり、軍神として拝まれた歴史もありますから、それを考えたら納得)

 

それに伴い、ご先祖様の供養も行うようになり、段々と様々なことが治っていきました。

 

 

鎮宅霊符神様だけではなく、ご神仏に向き合う時に思うことですが『自分都合で上手にやる』というのは通用しないですね。

 

人間の頭で考えるバランスとか調和とかはどうでもいいから、やるべきことを直ぐにやりなさい。よくしたるから、自分の悪いところが一瞬痛いのは我慢しなさいよ。

 

ザックリまとめると⇧こういう旨の出来事があったのです。でもそれは、恐いことではなくて、ありがたいことだったと考えています。

 

 

こう書くと厳しい神様のようですが、姿勢を正して生活と向き合うことで、必要な改善が起こるだけで

普段からやるべきことが出来ている人は、ただシンプルにお守りいただけるだけじゃないのかな…

 

兎にも角にも「神様って、とっても神様だな」という経験を経て金狐舎がありますので、太上神仙鎮宅七十二霊符は、今でも大切にお祀りしています。

 

 

時に怪異のお話を聞くことがありますが(実際にどうかはさておき)歪んだものの見方・考え方を起こす精神構造が、まず前提としてあるのではと感じています。

やるべきことをやっていない・何でも自己流にアレンジする・大事なことを略す・基礎を積み重ねない・まぁいいか精神が悪い方に出ているetc。

若い時ならまだしも、いい大人になってしまえば、他人の生活に口を出してまで良くなってほしいと思ってもらえる関係は減っていくものです(自戒をこめて)

 

自分で自分の悪いところを直さなければ、最後には治るはずのものも治りません。

 

ただ、今更もうダメだろうと考えてしまうような時であっても「何だかどうにかなりそうな底力」を湧き立たせて下さる力が、御神仏にはある様な気がしています。

 

「どうしても今変わらねば」と思っている方がいらしたら、経験を振り返った上で、星田妙見宮の参拝+太上神仙鎮宅七十二霊符をお薦めしています(グッズではないので、お参りをして手を合わせながら大切にするのが前提ですが)

 

神棚に納める鎮宅霊符神のお札も、確か授与されていたと記憶しております。

 

状況をどうこうするというのではなく、そういうものに振り回されている自分の弱さと向き合いたい時には、訪ねてみられると良いかもしれませんね。

 

私自身も、またしっかり鎮宅様と向き合いたいタイミングです。

読んでくださっている方と、神様仏様との良いご縁があります様に、この日に書き残しておきます。

 

 

 

お猿様・霊亀様・福龍さん

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妙見菩薩様の七つ鈴の霊亀様、青面金剛尊のお猿様。そして、原始的な福蛇さんならぬ、福龍さん

 

明日7月7日19時ごろに、オンラインストアで販売いたします(あっという間に七夕ですね)

残っているのは、お猿様一体です。ご縁がございましたら、どうぞよろしくお願いいたします。

金狐舎オンラインストア ▶︎ https://futagoya3.base.shop/

 

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猿は、魔が去るにも通じる

 

キビキビ働き知恵を運ぶお狐様達とは、少し毛色の違う。今回は、守護力&魔除けの色が濃い気配。

 

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守護力の強そうな霊亀様

 

七夕といえば、短冊に書くお願いごと。

 

どんな願いも愛おしいと言いたいところですが、祈りの質は様々だからこそ、誰かの祈り・願いに対して、明確な拒否が必要なときがある。

 

それを「何となく」「争いたくないから」「大人げないから」ずるずると許していると、不思議と免疫も下がります。

 

でももしかしたら、想像しているようなやり方…強い言葉や態度で伝えるのではなくても、もっと根本的な在り方で、一線を引けるものなのかもしれません。

 

生命のバリアにも、関わるお話だと考えています。

 

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白い福蛇さんたちとは違う、三つの宝珠

 

妙見様は、北極星を神格化した星の王様。命を司り、亀に乗っておられます。金狐舎が金狐舎に至るまでを支えてくださった、心強い守護神様だと思っています。

 

青面金剛様は、病気除けの神様。お猿様がご眷属。悪霊や病魔を除けるとされています。

 

吉野の天川曼荼羅の弁財天様は、蛇頭(龍頭?)の不可思議なお姿をしています。そちらを見て制作いたしました福蛇ならぬ福龍さんは、理性の世界というより、根源的な生命の世界を想う存在。こちらは、弁財天様や八大龍王様のご眷属として。

 

生命力の向上を願う方が、姿勢を整えるための縁起物となれば幸いです。

 

(それぞれのご神仏の、個人的なおかげさま話を、いつか書けたらと思います)

 

 

 

答えのない世界へ

 


www.youtube.com

 

精神科医・名越康文先生と、占星術研究科・鏡リュウジ先生の対談。切り抜き見て即「今必要だ」と思い、アーカイブ配信を購入しました。

 

精神科医の名越先生が、何故密教に関心を持たれたのかや、鏡先生が団地を眺めながら思っていたことなど

わからないことに答えを出そうとするのではなく、わからないまま真剣に話す

そんな対談に耳を傾けられる時間は、最高の贅沢でした。

 

わからないことは、わからないままに楽しむ。答えのない世界へ旅立つ、自分のこと・家族のこと・仲間のことを考えながら、余韻に浸っています。

 

アーカイブ配信(フルバージョン)は、2026年8月3日までとのことです。

 

 

 

画材と思い出の整理

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新しい画材を迎えたので、古いものを整理。

中学生のころにお小遣いで買ったものもあり、画材だけは捨てられなかったのだけれど

 

流石にガビガビになったもの、ほぼ空のケース、被っている色は捨てようと(笑)

 

子供の頃は、お金がなかった。でも、無かったからこそ好きな世界に夢中になれたし、その中で養えたものは大きかったと思います。画材はロマンですね〜。

 

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背伸びして買った、ウィンザーアンドニュートン。これは残しておく。

 

描くことや物作りが好きなの?と聞かれることごありますが、根本的には素材が好きです。色彩バリエーションがあると、可能性が無限に広がっていく気がして。その流れで、鉱物も好きだったのです。

 

好きなものは、無条件ですな。どこまでも拡大していくわくわく時間が、幸せだったなと思いながら引き出しをガサゴソしていました。

 

でも、無限に広がって楽しいのは、現実に枠があるから。届け先で受け取ってくださる方がいるから。

 

たくさん集めたものや知識をどう使うのか、考えながら組み合わせていくのが私の本懐ですもの。

 

お狐様達と最高にマッチする画材を見つけたので、がんばるぞー!

 

 

 

「お大師様」という象徴

 

お大師様の教えが何かと聞かれると、金狐舎にはお答えする知恵がありません。

ただ、お大師様は「理屈を超えた救いの象徴」として今も人間の心に息づき、何かあれば『おかげさまをいただいた』と言われるフィールド(土壌)が残っているのだと、肌で感じることはございます。

 

少し前、他所様のことではありますが、人間同士の難しい問題に遭遇しておりました。

 

大人同士のことなので、お互いが解決すれば良いのだけれど、堂々巡りの様子を見てモヤモヤと。

どうにもならない状態が続いて、私自身もしばし無力感に苛まれておりました。

 

そこで「どうにもならない人間のことは、同じ人間であったお大師様に」と思い

『ギブアップです。どうにも出来ませんので、全員のことをお大師様に預けます。南無大師遍照金剛』

と唱えておりましたところ、その日のうちに新知見を得られ、状況から手を離すことができました。

 

 

お大師様は、スーパーマンのように語られることが多い方です。しかし、お大師様が偉大だからといって、こちらの都合よく救ってくださると考えるのは筋違い

 

…とはいえ

 

ふと「おかげさま」が起きるときはある。

 

弘法大師信仰の残るフィールドにいるのだから、当たり前と言えば当たり前なのかもしれないけれど

 

こういうことがあると、救いの象徴としてお大師様が存在しているのだと、ありありと感じます。

 

加えて、信仰のフィールドそのものが残っていくのも大切だと感じます。

 

真言宗のお宗祖様でありつつ、理屈は関係なく、宗派も問わず「不可思議のある方なのだ」と認識され続けている…共通了解としての「お大師様」が存在し続ける…というのが、どこかで誰かの命綱になるのかもしれないなと、思うこの頃です。