若かりし頃。
「あなたはご主人方のご先祖様に守られているのよ」と言われたことがありました。
戸籍の中にそれらしき方を見つけて以来、改めてその言葉を咀嚼しています。
まぁ、与太話として読んでつかさい。
江戸から大正。私の生まれ月で生まれてくる子供は稀だった様子(私に関わりのある家系では)。同日ピンポイントで生まれていらっしゃるのが感慨深い。
故人の人物像を断定することはできないけれど、想いを馳せることでその方の存在を感じることは自由です。チャートの中の大切な場所に星を乗せてくれているのもまた、ありがたい。
昔は、どこに腰を据えるか?を決めるのは他人だった時代だった。嫁ぎ先は親が決めた・親族が決めた。養子縁組も出戻りも。
どんな形であれ、家を存続するにあたり当人同士ではない他人が(そして時代の事情が)今より色濃く関わっていたのだなと感じています。
でも今は、個人主体で決めていくことが多い時代。一緒にいるのも自由だし、離れるのも自由であることが多い。
選択肢があるからこそ、関係を続ける理由探しにエネルギーを浪費してしまうことはあるのかも。
ただ、出会って当たり前なのではなく「縁があること自体が稀有」だと捉えるなら、それを大切にして生きるというシンプルな理由でも一緒にいるのに十分なのではと思うのです。
一緒に居るメリットがないなら居なくてもいい。離れてお互いが自由になって幸せな人も居るでしょうから、それはそれで良いこと。他人が何かを言うのは余計なお世話。
ただ、自由のなかに不自由が生まれるように、不自由のなかにも自由があることを見つけられたら、それがお互いの満足感につながるケースも無いわけではない。見たいものを見る。続けてもいい理由を探しているなら、そういう視点もあるということですね。
家と土地、星と人の関係は摩訶不思議。
今はそれを眺めるのが、今の小さな楽しみです。