ある山陰への旅を決めてから、富士山が描きたくなった。
どちらも距離は離れているけれど、昔々ご先祖さま達が目にしていた場所。
富士山に足で登ったことはないし、修学旅行以来行っていないのだけれど
関東ならば、他県に住んでいてもそこから富士山が見えるという感覚は、途轍もないものなのだろうなと、今になって思う。
昨年から、高野山・稲荷山・象頭山に今年は石鎚と、山というものへの人の想いを肌で感じる時間をいただいた。
その上にある信仰や宗教は多様だけれど、時代が変わっても、山というものへの想いは変わらない。その地に暮らす人たちにとっては、永遠に特別なものなのだと。
時代を超えて、想いは継がれ続けているのだとも。
色んな信仰の形はそのまま、生命の形でもある。
その在り方が、私の目にはとても切なくて美しく映っているのです。
元々、古い信仰と共に生きてきた人間のお話が好きでした。
けれど、子供達が居るおかげで、遠いご先祖様のことを考える機会を直接得ることができました。
その中で、改めて山を訪ねてみると…想い一入。
このような生き方をさせてもらえていることが、ありがたいと感じています。
様々な生命の形を描きたい。
日本には、沢山の山がある。信仰がある。それを根として暮らしている人たちの生命がある。
暮らしの中に、その繋がりを思い出せるものを残したいな。