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世の中には、目には見えないけれど、あると分かっているものがあります。
昨今は、それを認めることを異質に思う風潮があるけれど、あるのだと分かっている人も実は多いのではないのでしょうか。
個人的に、それは身を守る上で必要な、捨ててはいけない感覚だと考えています。
今夜は昨日の香りを聞きながら、描きかけていたものを制作。その時間、私は何が伝えたいんだろう?と考えていました。
神社仏閣・土地や家という空間には、神様仏様と言われる方々以外にも、そこを守ってくれている存在がいると言われています。
ご眷属と呼ばれる方々が、それにあたるのだと。
剥き出しの自然そのままの力ではなく、どこか時間をかけて神仏と…更には人と結びついてきたもの。
そういったものは、普段目には見えていなくても幼い頃から誰もが何となく感じている「世の中の働き」であり、昔の人が当たり前に展開させてきた絆とも呼べるのではないでしょうか。
信仰の厚い山や寺社仏閣に行くと、そういう方々が働いているのだなとリアルに感じられることがあります。家単位でもそう。
目には見えないからといって「無い」としていいのか。放っておいてもいいのか。私は、否と思う人間です。
目に見えないものも「ある」として、心の枝葉を空間に伸ばしてもらえるものを描きたい。
その人本来の在り方・その人本来の感覚の伸ばし方をしてほしい。
そんな気がするなと誤魔化したり、逆に変なそれっぽい言葉で飾るのではなく。あるものをあると、ハッキリと(外に出さなくても)認められるものを描きたいのだなと、香りを聞いてみて思いました。
私が描いて渡す世界は創作でも、その人の感じている世界はリアルだからさ。
本当に感じているものを認めて。ここに展開している世界に触れて。認められる強さが私自身にも、もっとほしいなぁ。
わざわざ特別な言葉を使わなくても、あなたの感じているものは世界にあってもいいんだよって。感覚の伝達が出来たら。
創作にだって…創作だからこそ、それは出来るよねと云々。