霊山というと、言葉だけを見ておどろおどろしいイメージを抱く人もいるかもしれません。
実際に訪ねてみると思うのは、土地に住む人たちが死後に安らぐ場所であり、他界でありながら、どこか今生きている人たちと繋がりがある場所なのだなということ。
四国にも、霊山と呼ばれる場所があります。今はそのように認識されてはいないけれど、古い信仰について記された本を読んでいると、過去にはそうであったと知ることが出来る山もありました。
私が日本の民俗学に興味を持つようになったのは、柳田國男先生の「先祖の話」を読んでからのこと。
自然信仰について調べたくて四国の山中にある巨石や巨木を訪ねていたのだけれど、その時に感じていた空気がこの一冊にはギュッと詰まっていた。
人生の終わりは仏教の葬式で、送ってくださるのはお坊様。その後は極楽や地獄に行くのだというのが、薄ぼんやりと抱えていたイメージでした。私自身は仏様も好きなので、それでも良いとは思っているのだけど
ただ、かつては自分たちの手で山に先祖を送り、そして節目には自分たちで山に会いにいく世界線が許されていた…それを知った時、とても羨ましく思えたのです。終いを他者に委ねず、送り出せる/送り出してもらえるということが。
柳田先生の本を読んで、自分が感じていることが文字になっている・それが一つのジャンルとして確立されていることに感動したんですね。
自然とそういう山には惹かれているなと感じ、死霊の行きつく山・霊山とは何だろう?と改めて考えたくなっている年末。
生死観にこだわりたくなってきたのは、年食ってきた証拠ですかね。笑