ふと浮かんだ事。
女性救済の焦点が、結婚や出産・性の充実だけに当たっているのって、なんか貧相だなと。
そこに真剣に悩む時期があるのは自然として、救いって、そういう表面的なところにあるわけではないような…。
と感じるような話を、聞いたのですよ。
救いの形って、多分もっともっとバリエーションがある。女性としての救いはそのまま、人としての救いだとしたら?と考えてみているのです。仮説ですけれど。
これだけ多様性だジェンダーフリーだと言いながら、少女漫画でだってロマンスの成就がメインストーリーなんですぜ。七不思議やろ!
女性の幸せとは・救いとは…みたいに世間で定義づけられたものってアテにならない。だって世間は他人の集合体で、私じゃないもの(綾波ヴォイス)ってなものです。
そんな他人の声に耳を傾けて、ツボを外しまくってどうすんのさ。
どこかの誰かが言語化していない、心の中の言葉にならないところにこそ、自分であることの救いを感じられるヒントがある気がするのだけどな。
とりとめのない、独り言。
ちょっとここを突くメニューでも、やってみましょうかね。