金狐舎の裏庭

夫婦円満と家内安全の縁起物を描いている、金狐舎のブログ。制作の様子や、報恩謝徳の寺社参拝の写真を上げています。

お金も健康もない時に

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幸せになりたくても、お寺に行っても占いに行っても、病院でもカウンセリングでも、マッサージでもお金がいる。

 

お金がなくて困っているのに、なぜ幸せになるのに更にむしり取られなければいけないのか。

 

という方が、時々いる。

 

どんな事態があるか分からないから、備えておくのが大人だ。自己責任だ。

というのは真っ当な意見だけれど、全てが全てそれで片付けられるわけもなく。想像だにしないことから貧乏になったり、何なら他人の借金を肩代わりしなくてはいけない人も世の中にはいる。

病気なんて、なりたくてなる人はいないね。

 

今自分が、自己責任という言葉を使えるだけ、恵まれた立場なのかもしれないと考えるのが、本当の意味で世間を知った人間だと思っている。

 

知恵があれば解決できることでも、その知恵にすら気付かず生きる。福徳尽きたときには、そんなもの。宿業だなんだというけれど、私はそんなもの信じたくもないし、口にするのも嫌だ。原因と結果はあると思うけどさ。

 

お金も健康もない時に、そして信仰すら失った時に、出来ること。

 

それは、手を合わせることだと思う。

 

感謝しろとか神を感じろとか、そんなこっちゃない。

自分の中にある、美しい思い出。好きだったもの。好きだった人。そういうものを思い出して、手を合わせる。

 

個人的には、神様はいると思う。だけど、それは今恵まれているからそう思えているだけで、私だって何も信じられなくなったことはあるのです。

 

ただ、思い出は無くならないから。

 

どんな小さなカケラでもいい。残ったものを味わうことに時間を使って。

 

私が再起できたのは、それがあったから。しがみついたから。もし、今また同じように何も信じたくない状況になったら、そうして思い出に手を合わせるでしょう。

 

 

 

 

でもね。不思議なもので、本当の本当に体が苦しくて解放されたい時って、恨み節すら出てこないんです。恨む元気が残っている時って、わりとエネルギーの残高がある。

 

ちょっと足を伸ばして、ほんの数メートル先でもいい。足が動かないなら、頭の中でもいい。

知らない世界に行ってみませんか。

 

新しい発見が、あるかもよ。